高槻のすぐお隣に、継体天皇陵と言われる太田茶臼山古墳があります。西国街道を通り、高槻からも数百mの位置。お隣には藍野病院と大学があります。おそらく皆さまも通っていると思いますが古墳に遥拝所があるというのはご存じでしたでしょうか。
起点は藍野病院の前です。古墳の東側、まずこの奥の北側に歩いてみます。
見えないのですが古墳の周りには大きな堀があります。これだけ大きな古墳は継体天皇陵と言われてもおかしくありません。この場所では全体像がよくわかりません。
パノラマでみるとこんなかんじ(拡大できます)この右手に少し歩いてみます。
高田町という地区にきました。
くすのき公園という公園の中に古墳が。。
ばい塚のようです。
もう少し北側に歩いていくと、ロータリーのような感じになっており、
もうひとつばい塚がありました。
さて最初のところに戻ります。藍野病院が正面にあります。ここから古墳の南側、西国街道沿いに行ってみます。
途中で古墳の堀を覗くと、遥拝所のようなところがあるようです。
西国街道沿いにやってきました。太田城なる昔の城もあったよう。ここから少し西には芥川一里塚の次の一里塚と言われるところがあります。イオンタウンもすぐです。
昨年末に設置された現代の道しるべがありました。
西国街道沿いに少し西側に歩いていくと、遥拝所の入口がありました。
車止めていいのかな?というくろいのスペースがあります。
このようなところがあるのを知りませんでした。。
宮内庁の注意書き看板があります。
小さな白い石の参道を歩いていくと
ちょっと厳粛な雰囲気が。
遥拝所が現れました。といっても中には入れないようです。
一画の隅には遥拝所の小さな事務所がありました。
入口には献花されていました。
りっぱな雰囲気があります。
遥拝所でのパノラマです。(拡大できます)
少し住宅地を歩いて西側に行ってみます。大きなお堀が続いていました。周囲を歩く道はなくて、西側には森があります。
堀の周辺には昔は入れたような形跡が。。
太田公民館の前には古墳の歴史がありました。第26代継体天皇の時代(在位507年~531年)ではなさそうなのですが、継体天皇陵として管理されているようです。調べてみると継体天皇の曽祖父の意富富杼王(おおほどのおおきみ)といわれる方のお墓ではないかと言われているようです。
近くにはきれいなヤマボウシが咲いていました。(ハナミズキはアメリカから、同類の日本種はヤマボウシ)
参考 阿武山古墳の行き方はコチラ↓
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